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歴史に名だたる文人墨客に愛され、残された墨跡

蜀山人(太田南畝)

江戸中期から後期時代の狂歌人

蜀山人(太田南畝)

蜀山人が著した紀行文『小春紀行』に、「文化2年(1805年)、西遊から帰る途中に西条四日市の島六郎兵衛宅に泊まり、牡蠣を肴に酒を酌み交わした」と記されていました。その折、白牡丹へ以下の狂歌を残していかれました。

世の中は さてもせわしき酒のかん ちろりのはかま きたりぬいだり

世間のせわしさを、酒の燗に
かけて読んだ句です。

蜀山人(太田南畝)
世の中は さてもせわしき酒のかん ちろりのはかま きたりぬいだり

世間のせわしさを、酒の燗にかけて読んだ句です。

明治から大正時代の小説家

夏目漱石

先々代社長島博三は文豪・夏目漱石と親交があり、その交友の永さは交された手紙に偲ばれます。漱石は宿命的な胃病のために、酒を多くはたしなめなかったのですが、白牡丹だけは愛してやまず、飲み続けていました。そのうまさを賞賛し、一句をお寄せいただきました。

夏目漱石
夏目漱石

日本画家・横山大観の牡丹花の絵に寄せられた漱石直筆の句

白牡丹 李白が顔に 崩れけり

李白とは、酒好きとして知られる中国(唐中期)の詩仙。
白牡丹の酒は、その李白の顔をほころばせるほどにうまいという表現をしたものです。

明治から昭和時代の小説家・僧侶

今 東光

今東光が首都から西方面へ向かっていた折のことを月刊雑誌『文芸春秋』に寄稿。その中で「世の中にこれ程うまい酒があるのか」と白牡丹を絶賛されました。また、「白牡丹を飲んだ時、あまりのうまさに自身の舌を疑った。酒のうまさはもちろん、なぜ白牡丹がここまで長く愛されてきたのか理解できた」とも語られています。

今東光の直筆の原文

今東光の直筆の原文

白牡丹へ贈られた書

白牡丹へ贈られた書

明治後期から昭和時代の版画家

棟方志功

「世界のムナカタ」として著名であった棟方志功は白牡丹への想いが深く、愛重を込めて愉悦禁じ難い作風の版画「牡丹花」を製作されました。この他、白牡丹のために製作された版画や絵画が寄贈されており、それらは本社見学室内にてご覧いただけます。

創業三百年を記念して贈られた絵画

創業三百年を記念して贈られた絵画